人類の平和の祭典

 

禿同。

スケジュールに流され、本質を忘れてしまわないでくれ。

そういうイベントなら、心の底から応援する。

金勘定のことはおいておいて、人類として平和の祭典がどうあるべきか、足を止めて考えなおす良い機会だと思う。

 

一方、わが国のオリンピックの性格は、一般的な世界最大の競技大会ではなく、生命を失った人たちの深い悲しみと、それを癒す慰霊と鎮魂でなくてはなりません。
そしてオリンピックを、この地獄から人類が立ち上がろうとする復興の象徴とすることで、初めてこの時期に開催する意味が伝わるのです。
そうでなくては、この足かけ2年に及ぼうとする人類の苦しみがまったく無意味になります。

であるなら、中途半端に今年やり、来年には予定消化的に冬季五輪をすること自体を根本から問い直したほうがよいのではないでしょうか。

 

 ここのとこ(と言っても2回位)暴論が続いて読んでなかったが、今日は良いな。

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